第49回青窯会作陶展

2017.01.02 更新

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 京都青窯会協同組合は昭和43年発足の、皇室の御寺「泉涌寺」の麓に集う窯元で構成された組合です。

この泉涌寺の近辺は、「焼きもの」とは古くから縁があり、太閤秀吉が大仏殿造営にあたり、この地に瓦窯を築かせたのが始まりで、多くの瓦窯が存在していました。

その後、五条坂から移り住んだ先人達が登り窯を築いて、この地に開窯したのが大正3年。一番多い時で14基もの登り窯が煙を上げていた、京焼の産地です。

 今も組合の拠点である「青窯会会館」を中心に、たくさんの窯元が制作に励んでいます。ここでは作品の展示はもちろんのこと、陶芸体験、工房見学など、幅広く京焼を味わう時間をお過ごしいただけます。  

 

今回で49回目となる青窯会展では、テーマを「茶器」として、組合所属の窯元が腕によりをかけて日頃の成果を競います。

煎茶器、抹茶盌などの伝統の器から、ティータイムを彩る素敵な日常の器まで、生活の中で楽しんで使っていただける京焼が展示即売されます。 是非、ご高覧いただき、器の持つ「手作りのやさしい温もり」を感じてください。

 

山内 駿 陶展 -銀刻-

2016.11.26 更新

山内駿

山内 駿 陶展 銀刻       

「銀刻彩」とは、山内駿氏が編み出した技法で、黒い陶器の上に銀を焼き付けた後、機械で銀を削り装飾するというものです。

美術館に展示されていた金属器の、年月を経て風化した表面の雰囲気に心動かされ、陶器でもこんな表現が出来ないかと模索した結果、辿り着いた技法がこれでした。

「機械を使い装飾する事は今の時代にしか出来ない表現であり、銀を削り陶の表面を出し陶器と金属を融合させる事は、

陶器だからこそ出せる金属の新たな表情」と言う、山内氏。 本来なら何百年も時が経ち風化していく表面を、機械の削りにより風化を刻んでいく、

時を刻むようなイメージで作品の表面を削っているそうです。

スタイリッシュでシャープな作品ですが、その中に込められた優しさが、見る人の心をひきつけます。

銀の冷たさの中に宿る手技の温もりや山内氏独特のユニークな形・・・これからが楽しみな若手作家です。

是非、ご高覧ください。

 

 

<陶歴>

1984年 京都で生まれ、宮城で育つ

2006年 京都伝統工芸専門学校 専攻科 卒業

猪飼祐一氏に師事

2009年 京都・東山にて独立

<展覧会>

2010年 ARTZONE(京都)

2011年 藤崎(仙台)[2013、15年]

2013年 米子髙島屋(鳥取)[2016年]

2015年 アートサロンくら(京都)

2016年 晩翠画廊(仙台)

ICFF出展(ニューヨーク)

 ギャラリーみちかけ(京都)

<公募展>

2008年 日本伝統工芸近畿展 入選[09〜12、14〜16年]

2012年 京都府美術工芸新鋭展-2012京都美術・工芸ビエンナーレ- 招待出品

河北工芸展 秋田県知事賞 受賞

2014年 河北工芸展 入選

2016年 日本伝統工芸展 入選

 

 

京陶人形 幸せを呼ぶ形 ~干支・酉~

2016.10.24 更新

京陶人形

京陶人形は京都で作られている素焼人形です。素焼人形は、粘土で形をこしらえ、乾燥させ、850℃くらいの低火度で焼成し、

顔料で彩色して仕上げたもので、全体が土という素材でありながら、やわらかなぬくもりを感じさせる深い味わいがあります。

人は太古の昔から、木や石や土など身近な材料で自分たちの似姿を作ってきました。

古墳時代には土で見事な土偶や埴輪を生み出し、やがて、型を使って多量に作られる時代になると、

安価で気取りのない庶民の愛玩用の人形として人々に親しまれてきました。京陶人形はこのような伝統と技術を受け継ぎながら、

その時代の流れ、風俗や好みを反映した形を追求して今日に至ったものだそうです。

かつては他の素材の人形とともに、京人形という総称の中に含まれていましたが、昭和32年に「京陶人形」と命名されました。

多品種、少量生産が主体なので、作られている形は多様です。子供たちのすこやかな成長を願う雛人形や五月の節句もの、

歴史をたどる時代風俗、特に王朝文化を題材にした優雅な時代もの、御所人形をはじめ幼児の愛らしさで表現する童子もの、

歳守の干支などの動物もの、素材そのものを活かした素朴なもの、抽象的でモダンなもの、また独自の技法で作られている土鈴は、

音色、形、彩色ともに豊かで人気があります。

京陶人形工芸協同組合の方々は、「これからも、人々の心をなごませる人形や、時代と向きあったユニークな人形を生みだしたい」と

日々、製作に励んでおられます。

皆様の新春に、あなただけの「幸せを呼ぶ形」を選んでいただければ幸いです。

 

守崎正洋 陶展

2016.10.23 更新

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多種多様な釉薬によって彩られた、きれいで、日常に使いたくなる器…それが守崎正洋氏の作品です。

鮮やかな紅紫の辰砂、さわやかな水色の鈞窯、多様な天目系の釉薬はそれぞれ黒さが違います。

守崎氏の多様なカラーバリエーションといろいろな形の器は、補充してもすぐに売り切れになる会館でも人気の作品です。

そんな作品をいつも以上にずらりと並べてみていただける展覧会は、楽しい企画となることでしょう。

たくさんの中からお気に入りを見つけていただくチャンスです。皆様のご来場をお待ちしております。

 

 

 

<守崎正洋 陶歴>

1971年10月19日 京都市生まれ

1999年 京都伝統工芸専門校(現在 大学校)陶芸本科修了 
1999年 以後二年間、大覚寺陶房にて和泉良法氏に師事 
2002年 (株)たち吉主催『京都陶芸の新しい芽』入選 
2003年 京都市工業試験場陶磁器コース専修科修了 
2003年 京都、嵯峨野にて開窯 独立 
2004年 伝統産業「京の若手職人」海外(イタリア)派遣事業に選出 
2006年 2006『めし碗グランプリ展』入選 
2008年 第26回『朝日現代クラフト展』入選 
2012年 第10回『ローディ陶器コンクール』(イタリア)入賞  

〒616‐8314 
京都府京都市右京区嵯峨野秋街道町16-22 

TEL&FAX:075-872-3543(工房)

 

わん・碗・ONE展~次代を担う若者の作品展~

2016.10.07 更新

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わん・碗・ONE展~次代を担う若者の作品展~

「わん・碗・ONE展」は五条坂・茶わん坂周辺の陶磁器関係者が一つになって地域活性化を目的に開催されており、

ここ京都陶磁器会館はそれに協賛・参加し「わん・碗・ONE展~次代を担う若者の作品展~」を開催しています。

この展覧会は京都の8つの学校・教育機関である京都嵯峨芸術大学・京都市産業技術研究所・京都市立芸術大学・京都精華大学・

京都造形芸術大学・京都伝統工芸大学校・京都美術工芸大学・京都府立陶工高等技術専門校の生徒さんが参加される展覧会です。

 

本年で5回目を迎える、本展覧会です。若手の力あふれる作品を御覧ください。

紅村展 ~伝統と次代への挑戦

2016.10.07 更新

林 紅村

紅村展 ~伝統と次代への挑戦

長い歴史を持つ清水焼の伝統の中で、紅村窯は100年以上続く窯元です。

大正時代初期より二代林 円山(えんざん)氏が清水のちゃわん坂(清水新道)で制作を始め、青磁を主として貿易関係など戦前大きく事業を行いました。

戦後円山(えんざん)氏は紅村と改名、現在の紅村窯を代表する白磁、青磁を開発、その子息三代 紅村(林克行氏)がその技術を継承し、

四代目となる林侑子氏とともに三代にわたって培われた伝統技法と格調を研磨しつつ、その美しさの中に新しい息吹を盛り込んだ作品を制作しておられます。

 紅村窯の西施白磁と名付けられた白磁は、中国の古窯で作られた白高麗(白磁)から発展したなめらかな乳白色が印象的です。

ロクロ成形に至難の技を必要とするそうで、西施洗練された形と、東洋美人の肌を連想する白玉の様な釉調から相まって、

まさしく中国の代表的な美女 西施 からの命名がふさわしい作品です。

 また、青磁の作品も、中国の宋時代、豊穣な成熟を示した青磁を古来の製法を躇襲しながら優雅で独自の深い色調を持った青磁で、

高貴で格調高い作品となっています。

 今回は三代紅村(克行氏)、四代紅村(侑子氏)の二人展として、受け継がれてきた清水焼の、美しい伝統をご覧いただこうと企画いたしました。

三代の洗練されたシャープなラインと四代の可愛らしさとのコラボレーション、そして新しい作品への挑戦をお楽しみいただけると幸いです。

 

 

三代紅村 林 克行

1940年 京都市に生まれる

京都芸術大学 彫刻科卒

丸善にて林紅村父子展

(日本橋、大阪をはじめ各地の支店)

新宿京王百貨店 新宿紀伊国屋 

銀座永井画廊 神戸三越

新宿ギャラリー巴堂銀座ギャラリー江 

JR大阪三越伊勢丹ぐい呑みコレクション展   

四代紅村 林 侑子

1981年 林克行の長女としてうまれる

2004年 京都府立陶工技術専門校成形科卒

2005年 同校 研究科卒

2006年 京都市産業技術研究所

陶磁器本科卒業

2006年 父・林紅村に師事

2008年 Art&Crafts 紅村にて初個展

大丸京都店や高島屋京都店などで二人展やグループ展に参加

2012年 紅村studio『Arche』アルシェをオープン

2014年 春の展示会で林侑子として初のうつわブランド『yu’s style』を発表

アルシェでの『こどもとうげいくらぶ』始動

会期11月25日(金)~12月7日(水) 木曜日休館日 午前10時~午後6時まで

黒田赫三郎窯展‐京焼の世界で50年を迎えて‐

2016.10.07 更新

黒田赫三郎

黒田赫三郎窯展‐京焼の世界で50年を迎えて‐         

赫三郎(本名、黒田三郎氏)氏はこの道に入って50年。

今なお、新しい作品、色合いに挑戦し続ける。

目につくのは鮮やかな色。特に誰にも真似できない、温かみのある夕焼けに近い赤。

そこに可愛らしいウサギや花が描かれる。優しいブルーの染付もある。画家の経験があったからこそ、

現在、陶器の絵付けや色合いの美しさが生かされるのだろう。

また、大胆な赤と金に彩られた作品も目を引く。豊かな人生に実った、果実のような作品たちである。

陶器は命をつかさどる食事に使われるもの。だから赫三郎氏が求めるものは、美しさはもちろんのこと、

毎日が使い心地よく、触感も満足するもの。そのため、作品には細部まで気を配られている。

例えば、コーヒーカップは親指がフィットしやすいよう少しの窪みがあり、

また人差し指と中指が入りやすく、すべりにくい工夫がされている。

伝統は踏襲し、でもオリジナリティを出していかなければならない。「常に勉強です。」と赫三郎氏は語る。

赫三郎氏の歩いてこられた50年。その一(ひと)滴(しずく)のような展覧会を是非、ご高覧ください。

<赫三郎窯 黒田三郎 陶歴>

1942   大阪市に生まれる。

     大阪市立美術研究所 2年 

洋画の基礎を学ぶ。中村孫四郎先生(洋画 国画会会員)に師事。

京都市立工芸指導所 1年 

京焼の基礎を学ぶ。3世伊東陶山先生(粟田焼 日展理事)に師事。

1967    五条坂に「赫三郎窯」開窯。

1970   宇治市炭山に移転 築窯。

      この間、京焼窯元として「赤絵陶器」「染付陶器」を中心にヒットデザインを制作し続ける。

1984   瑞穂町に移転、築窯 、個展多数。

2000   阪神百貨店画廊をメインに、松坂屋百貨店などで10年連続 個展開催。

      日本橋三越本店でも作陶展を開催。

2008   京丹後市大宮町に移転、築窯。

       現在にいたる。

「丹後  茶話会」主催

 

赫三郎窯 〒629-2511 京丹後市大宮町久住970

      Tel,Fax 0772-68-0492

 E-mail kakusaburohgama@plum.plala.or.jp

森本真二 陶展 -茶盌と酒盃と-

2016.10.01 更新

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織部は普通、緑色ですが、それを再度、窯の火をくぐらせて赤く染め上げた赤織部。

そして油滴天目を追い求める中で生まれた、深い深い漆黒の黒天目。

宋永窯 森本真二が編み出した赤織部と黒天目が綾なす

「茶盌と酒器」の世界を、深まりゆく秋の気配とともにお楽しみください。

 

森里陶楽 「黄昏時と優美な器」展 

2016.09.16 更新

森里陶楽

森里陶楽 「黄昏時と優美な器」展  

 

三代目陶楽・秀夫氏は、京文化で表す「はんなり」した表現を追求する中、優美で艶やかな物を求めて繊細で緻密な技法を表現する「紫三島」「紫彩華紋」を生み出されました。 現在も、「土に華を咲かせ、心に華を咲かせる陶芸術」を作陶の心掛けとし、陶土に花の刻印を施し白い花を咲かせ、器を使っていただいた方の心にも花が咲くようにと、作陶に励んでおられます。

展覧会場では食空間コーディネイター湯浅靖代氏のテーブルコーディネイトにより、黄昏時の素敵なパーティーセッティングもご覧いただけ、見るだけでなく、使う提案もさせていただきます。初秋の京都にふさわしい、はんなりとした京焼をお楽しみください。

 

<三代目陶楽 森里秀夫 陶歴>

1959年 京都に生まれる

1977年  京都市日吉が丘高校美術コース日本画卒業

1981年 京都府陶工高等専門学校卒業

同年、手塚玉堂に師事

二代目陶楽の元で作陶を始める

工学博士山本徳治氏の釉薬研究所「美泥塾」に入塾する

1996年 三代目陶楽を襲名

京焼・清水焼伝統工芸士の称号を受ける

全国伝統工芸品展にて日本商工会議所会頭賞を受ける

日本橋高島屋をはじめ全国各地で個展を開催

 

<森里陶楽>〒607-8465 京都府京都市山科区上花山坂尻20−4

電話番号075-591-1661

http://tourakutouen.com/

山下裕美子「きおくの輪郭」

2016.09.14 更新

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山下裕美子「きおくの輪郭」

土という素材から、「重量」を可能な限りそぎ落としたならば、表層には何が残るのだろうか。そんな思いから、山下裕美子は様々な形を限りなく薄い膜として表現しようと試みてきました。

彼女の作品は、原型の上に泥漿を塗りながら、和紙を12~14層張り重ねます。そして原型を取り除いて乾燥させ、焼き上げられます。焼成することにより和紙は燃え尽きますが、和紙にしみ込んでいた泥漿は焼けて磁器となり、何層にも重なった磁器特有の透光性を持った膜状の作品が完成します。

焼け残った磁器の膜、その作品の中に内包された空気や和紙のテクスチャーが、和紙が存在した「痕跡」として残ります。この「痕跡」は紙から磁器への変換であり、彼女にとっては物質を時間へと変換させる試みであるようです。

また、山下にとって作品を構成する膜は、空間そのものの輪郭であり、内と外との境界でもあり、そしてそれは作者にとっても、見る者にとっても、自分と世界の境界線(輪郭)となります。山下はこの境界をできるだけ虚ろにし、空間に拡散していくものを作ろうと試みてきました。しかし作品からできる限り重さを取り除き、存在感を希薄にしても物体は面前に存在し続けます。この矛盾から、彼女は世界に自己と他者、世界と自分の存り方を問いかけています。

会場を歩いて、作品の置かれた空間を移動することにより、時間の記憶と、自らの存在へ思いを巡らせていただければ、と思います。