森本真二

2017.11.26 更新

IMGP3760 京都府亀岡市の東別院町で作陶される森本真二さんを今回は尋ねた。工房がある東別院町南掛(ひがしべついんちょうなんげ)というところは、いくつもの山が連なる山深い中で工房の傍らには川が流れ、周りには田や畑が有り、実に自然豊かな環境だ。森本さんは、この豊かな自然の中で日々作陶に励まれている。

 森本さんは高校を卒業された後、京都市工業試験場の伝統産業研修で陶磁器全般について学ばれ、その後、京都府立陶工職業訓練校(現、京都府陶工高等技術専門校)にて轆轤技術を習得された。訓練校を修了された後は、京都山科にある窯元で轆轤師として勤められ、同時に作家活動も開始される。

「山科の窯元で職人として働いた後、日本以外の焼き物を知るために海外に飛び出しました。主にヨーロッパを廻りましたね。」

 

 

IMGP3887「山科の窯元で職人として働いた後、日本以外の焼き物を知るために海外に飛び出しました。主にヨーロッパを廻りましたね。」

 森本さんは約三ヶ月にわたり、ヨーロッパ諸国やモロッコなどの国々を巡り、海外の焼き物を見聞されたそうだ。

「海外から帰ってきて少し経った頃、山梨県の増穂というところで穴窯と登窯による作品作りに参加していたら窯の責任者を任され、そのまま2年ほどその地に居着いたんです。その窯は東京で陶芸教室をされている方がオーナーで、その陶芸教室の生徒さんが作られた作品を焼くための窯でした。その窯に私の作品も一緒に入れてもらって、焼いていたんです。私と同じく、他の作家さんの作品も焼いていましたが、その中には有名な池田満寿夫さんの作品もありましたよ。」

 

 

IMGP3850 森本さんの作品は、窯の焼きによる言わば、炎による焼きで作り出される作品が特に秀逸である。この”窯の焼き”という陶芸における最も重要な部分であり、最大の醍醐味でもある部分に力を注がれる森本さんの陶芸に対する姿勢は、この山梨時代に穴窯や登窯を焼いていた経験が起点になっているのかもしれない。

「京都市工業試験場では油滴天目の研究をしていましたが、陶芸の道に入った当初から天目には一廉の思い入れがありましたから自分でも納得のいくものが焼けない内は世に出さないという信条がありました。油滴天目を個展に出品するようになったのは2010年頃からですね。それ以前の若いときは赤織部や白磁などを焼いていた時期もありました。磁器に染付で絵付けをした作品を作っていた時期もありましたよ。」

 

 

IMGP3809 若いときに作られた染付の作品も見せていただいたが、プロの絵付け師も顔負けの見事な筆裁きで山水画が描かれている。木賊模様の湯呑も手描きの雰囲気が存分に出ていて味があって良い。
森本さんは、これらの磁器に絵付けをする作品は主に陶磁器卸問屋の注文で作られていたが、やがて土味を活かした作品を出展する個展を中心にした活動にシフトされていく。

磁器の染付の作品を作られていた時期もあったが、終始一貫されているのは、やはり、森本さんの作品は、焼きで雰囲気を出す、土味を活かした作品であるのかを訊いてみた。

 

 

IMGP3828「今も作品として焼いていますが、灰釉の作品も以前から手がけています。自分自身で思う私としての強みというのは、良いところを引っ張り出せば、大した土ではなくても、あるいは大した上薬ではなくても、その上薬のかけ方や焼き方で、納得した上で作品として個展に出したり、商品として世に出したりできるものを焼き上げることができると、ある時点からわかったんです。例え土がどういうものであれ、こういう土なら、こういう焼き方をすれば良い雰囲気に焼き上げることができる術を持っていることが私の強みです。」

 森本さんは、土味を活かすための焼きで作り出す作品で自らの陶芸を表現されているのだ。
 しかしながら、この焼きで作品を作り上げるというのは、微妙な原土の差や窯内の雰囲気の差、ちょっとした上薬の厚みの差などによって、その都度の窯で焼き上がりの差が出ることが往々にしてある。そのあたりのことも森本さんに訊いてみた。

 

 

IMGP3883「差が出るということは、どうしてもありますね。ただ、その差というものを受け入れる側がどう受け取るかが問題であって、単に前と違っているから駄目という問題ではないんです。前のものと差があっても、ものが良くできあがっていればそれで良いというように思ってもらえる作品を焼き上げられるように私自身がなっているということだと思います。今度の窯では、こんな雰囲気に焼き上がりましたということが好意を持って受け入れられるということです。」

 つまり、その差というものは、マイナスの差ならば受け入れられないこともあるだろうが、例え、前のものとの違いがあっても焼き上がったものが良いものなら受け取り側は森本さんの作品を受け入れ、楽しめるということなのだろう。そういう雰囲気を持った作品に焼き上げる術を森本さんは持っているのである。

 

 

IMGP3919 また、こういうことも言えるのではないだろうか。現代社会では陶芸作品であっても画一的な工業製品のように、どれも同じ見た目で同じ内容の製品を求めるようになりがちである。そういう製品のほうがユーザーである立場で、品質という面で安心できるからである。

 我々、作品を受け入れる側が陶芸作品としてその作品をどう受け入れるか。焼きの炎が作り上げる作品を目の当たりにしたとき、その都度の焼き上がりの雰囲気を楽しめる豊かな心を我々自身が持てるかどうかなのだ。これは陶芸に対する見方の本質でもあるのではないだろうか。

「私の窯の焼き方は元々、油滴天目を焼くことからスタートしているということがあります。つまり、冷却還元という焼き方が基本です。油滴天目を焼く冷却還元焼成の窯に、天目以外のものも入れて焼くと、いろいろ面白い雰囲気のものが焼けます。それらも私の作品としてラインナップに加わっていったという経緯があります。」

 

 

IMGP3848 冷却還元という焼き方自体が陶磁器の焼成方法としては、特殊な部類に入る。そして、その焼成方法から生み出される森本さんの作品は、森本さん独自の個性ある作品になっている。
「赤土を使って作る作品で、私のものは普通の赤土の色に焼き上がっているものは一つもありません。冷却還元で焼いているので、土が炭化して黒く焼き上がるんです。」
赤土の素地に天目釉を部分掛けした作品は、釉薬も黒く素地も黒く焼き上がっている。釉薬の光沢のある黒い部分と、焼き締めの黒い部分の対比が面白い作品だ。
窯の焼きによって、個性ある豊かな作品を作られる森本さん。これからも見る人の心を豊かにしてくれる作品造りに励んでいただきたい。

 

 

 

 

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森本真二

1963年 京都市に生まれる
1985年 京都市工業試験場伝統産業研修本科修了
1986年 京都市工業試験場伝統産業研修専攻科修了
1987年 京都府立陶工職業訓練校成形科修了
     亀水陶苑(京都・山科)にて轆轤師となり以後、作家活動も始める
1989年 海外の焼き物を知るため三ヶ月の研修旅行 ヨーロッパ十四カ国(北欧、南欧、モロッコ他)
1991年 山梨県増穂にて登窯・穴窯の焼成を担当 池田満寿夫氏、海外の彫刻家、版画家のテクニカルアドバイザーとして担当
1992年 京都・山科、清水焼団地にて新工房を開く
     美濃国際陶磁器展 初出品(入選)
1993年 大阪・阪神百貨店にて個展(94・95・96)
     ヨーロッパ八カ国研修旅行(北欧、南欧、東欧他)
1994年 東京・銀座兜画廊にて父子展
     大阪・高槻松坂屋にて個展
1995年 東京・玉川高島屋にて個展
1996年 東京・銀座松屋にて個展(以後毎年)
     京都・御苑拾翠亭にて個展
1998年 京都・山科から亀岡・東別院に工房を移す
1999年 大阪・ホテルリッツカールトン大阪にて茶会と個展
     京都・京都高島屋にて個展(以後毎年)
     名古屋・三越栄店にて七人展
2002年 兵庫・芦屋大丸にて個展(春・秋)
2004年 大阪・宋永窯陶芸教室を開く
2005年 阪神百貨店にて個展(以後毎年)
2006年 松屋銀座にて、10周年記念個展
2007年 東京・池袋東武百貨店にて個展(以後毎年)
2015年 武蔵小杉・天神(福岡)にて個展
2016年 松屋銀座にて、20週年記念個展
2016年 京都陶磁器会館にて個展
     赤織部と天目を中心に作陶 現在に至る

 

宋永窯 森本真二

〒621-0111
京都府亀岡市東別院町南掛藪ノ下16-3
電話:(0771)27-2719