犬塚陶房

2014.12.13 更新

京都府宇治市内ではあるが、宇治駅よりも北東方面に、直線距離にして3キロほど離れた山の中にある炭山地区で工房を構えられる犬塚陶房を訪れた。

工房名は「犬塚陶房」であるが、お話を伺ったのは奥様の柴田美智子さん。「犬塚陶房」はご主人が独身の時に立ち上げられた工房で、当時の姓の「犬塚」から名付けられたそうだ。結婚により奥様の姓の「柴田」を名乗られており「犬塚勇」氏はそれを期に(号)柴田轆轤とされた。
ご主人の柴田轆轤さんは、炭山地区が現在のような陶芸作家や窯元が集まる陶業地となったきっかけを築いた先導者の河島浩三氏の下で修行をされていた。
ご主人が河島氏の下に弟子入りされた当初は、京都市内の東山五条に河島氏の工房があったそうだが、京都市内では薪窯を条例で焼くことを禁止されたことや、家屋が密集する京都市内よりも広々とした所で作陶を続けようという河島氏の考えから、宇治市炭山の地に行き着いたということらしい。

 

 

この河島氏の思想に賛同した作家や窯元がいくつもあり、何軒もの窯元が同時期に京都市内から宇治市炭山に工房を移した。
「主人も、師匠の河島先生に声掛けをいただき、炭山工芸村(当時)で開窯し、現在もこの地で自身の工房を構えています。」

河島氏の工房での修行を終えられて後、より多くの陶芸技術を身につけたいとの考えから、日本六古窯の一つである愛知県常滑市の常滑焼の窯元に入られた。
常滑焼では、その伝統的な焼き物も生産されているが、京焼・清水焼とは違って、古くは上下水道に使用される陶器製の土管や建築資材としてのタイルの生産なども盛んで、焼き上がった物の規格や寸法の精度が求められる工業陶器の技術が高いことで知られている。

ご主人の柴田轆轤さんは、京焼の河島氏の下で食器の作陶技術を学ばれ、常滑で工業製品的な陶業技術を学ばれたことになる。

 

 

お話を伺った柴田美智子さんは、ご主人と結婚されるまでは、店舗設計のお仕事をされていた。
ご主人と結婚されたことで、奥様の美智子さんも陶芸の世界に入られることになったのだが、作品を作られる際にも、店舗設計のお仕事をされていた時の経験や知識などが、陶芸に役に立っているそうだ。
「新作を作る時は、私がまず大まかなフォルムやデザインを考え、主人が主たる成形をします。それで出来た生地に娘が絵付けしていくという親子三人の共同作業で作っています。つまり、犬塚陶房の作品は私と主人、そして娘の三人の合作です。」と、美智子さんは話される。
美智子さんは、最初に灯籠の作品を見せて下さった。

 

 

 

 

「これは2003年の3月から始まった、京都・花灯籠の企画で制作の依頼を受けて作った灯籠です。京都の窯元は、予め規格が決められた工業製品的な焼き物を作ったり、ある程度以上の大きなものを作ったりすることを得意とされる方が意外に少ないのです。主人は常滑で修行をした経験がありますから、こういう灯籠などの大きな規格の物を作るのが得意でしたので、犬塚陶房に白羽の矢がたったようです。」
電球で明かりを灯す灯籠は、電球を付ける器具を組み込むための穴や電線を通す穴を灯籠に開ける作業を必要とする。
特に電球を付けるソケットを固定するための穴は、焼き上がりの寸法がきっちりとソケット台座の径に合致するように収縮を計算して、焼き上げる前の素地に開けなければならない。
こういう技術をご主人の柴田轆轤さんは常滑で習熟されたのだ。

 

 

京都市の企画で始まったこの「京都・花灯籠」は、灯籠を製品化する前に、できあがりの灯籠の正確な図面を先に提出する必要があったそうだが、その図面は店舗設計の経験がある奥様が製図されたとのことで、結婚前のお仕事の経験が生かされたのだ。
「京都・花灯籠」で制作された灯籠を初めとして、後にシリーズ化されたいくつかの灯籠の作品が犬塚陶房には展示してあるが、円筒状の二重構造になった灯籠は、外側の筒がクルクルと回せる仕組みになっていて、明かりの光度を調整できたり、内側の筒に施された絵が見えるように窓枠を合わせられるようにできたりという工夫がなされている。
灯籠以外も、もちろん、ご主人が河島陶房で修行をされた時に習熟された食器類の作品も数多く作られている。

 

 

中でも、まず目を惹いたのは、これぞ辰砂と言えるような赤く発色した器類であった。
「辰砂は、もっとたくさん焼きたいと本当は考えているんですが、やはり、銅を発色剤としている辰砂釉は、高温になると窯の中で銅がある程度揮発して、隣に置いた器に色移りするので、辰砂以外の作品と一緒には焼けません。辰砂だけを焼く専用の窯がほしいですね。専用の窯を築いたら、辰砂の作品をどんどん焼きます。」
と、美智子さんが話されるように、銅を発色剤とする辰砂釉や釣窯釉は窯の中で高温になると揮発し、周りの器の釉薬に溶け込み、周辺の器の一部を赤く発色させてしまうことがある。

 

 

故に、これら銅を発色剤とする釉薬を嫌って、焼くことを避ける窯元が多くなっているのが事実だ。美智子さんが希望されるように、専用の窯で辰砂や釣窯の作品をもっと焼かれて、発表してほしいと願う。
犬塚陶房の作品には、いわゆる土物の陶器の作品だけでなく、半磁器の作品もある。白生地の器に下絵用の色絵の具で彩色された作品が、なんとも色使いが優しくて、可愛らしく、娘さんが描かれた絵が女性らしい雰囲気を醸し出している。絵の題材として取り上げられているものも、バンビやウサギ、草花などであることも女性らしく、メルヘンチックな世界観を持っている作品と感じる。
「この作品に使っている下絵の具は、陶芸材料店で売られているものですが、そのままでは定着や発色が良くないので、助剤や釉薬も犬塚陶房で研究しました。」

 

 

絶妙に調合を施された絵の具が、うまく上薬に溶け込み、優しい色使いとなって、作品を色づけされている。なにしろ、独特の世界観を持った作品群で、正に犬塚陶房オリジナルであり、他の窯元の作品には類を見ない作品と言えるだろう。
半磁器の作品の中には、呉須によって染付の絵付けを施されたものもある。日本庭園に置かれている石灯籠のような形をした染付の作品は、四つに分かれる構造になっており、実は、そのうちの二つがお皿、一つが湯呑で、組み合わせると灯籠になるといった、面白い、遊び心を盛り込まれた作品となっている。

 

 

犬塚陶房の作品は土物もあり、白ものもあり、絵付けに関しては、下絵の色絵のものがあり、上絵の色絵のものもあり、また、染付もありと、実にバラエティーに富んでいる。
成形の技術はもちろん、デザインやそれを器に施す絵付けの技術、どれを取っても高レベルでないと、これほどまでのバリエーションは持てないだろう。
下絵の色絵の具を用いて可愛い動物や草花などを描いた作品には、その優しくて暖かい雰囲気の絵から、親子で焼き物を制作されている犬塚陶房の、それら作品に家族愛さえも感じる。
家族全員の力を合わせ、日々の研鑽を重ねられて、豊かな犬塚陶房作品が産み出されていくのだ。
これからも美しくて、見て楽しくなるような、様々な作品を作り続けて行かれることと思う。

 

 

 

 

 

 

柴田 轆轤

1947年 京都市中京区に生まれる
1962年 河島浩三陶房に入門
1965年 愛知県常滑市の加藤嘉明氏に師事を受ける
1967年 三重県四日市市の三位陶苑に勤める
1969年 協同組合・炭山工芸村にて独立、犬塚陶房を開設
1970年 新陶人に入会
1978年 以来、京都陶磁器協同組合連合会「京焼・清水焼」展覧会に出品し、数々の賞を受賞
1991年 ギャラリー犬塚を開設
1998年 「犬塚 勇」改め雅号「柴田轆轤」とす
2002年 京焼・清水焼伝統工芸士に認定される

 

犬塚陶房 柴田轆轤

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