加藤正史

2013.06.22 更新

 

 京都府宇治市の市街地区から東方の山中にある炭山地区。その自然あふれる地で、焼かれている加藤正史さんの工房を訪ねた。
この炭山地区は、京都府内で最も後にできた窯業地である。
京都府内には、現在窯業地である地区は数カ所有る。
清水寺および五条坂界隈に、最初に起こった五条地区、それより少し南にある日吉地区、またその日吉地区の南に位置する泉涌寺地区、京都市山科区の清水焼団地地区、そして、新たな窯業地を求めて、当時過疎化が進んでいた炭山村の村人に迎え入れられ、昭和48年、数人の陶工達が東山より移り住み窯を開いたのが炭山工芸村の始まりである。加藤正史さんのお父さんは、そんな、炭山村に移って窯を開いた陶工の一人であった。もともと、加藤さんのご先祖は岐阜で陶業に就かれていたそうで、より高度な陶磁器技法を求めて加藤さんのおじいさんが京都に移ってこられたらしい。

 

 

 

 この岐阜県や愛知県の瀬戸市、土岐市、瑞浪市などで焼き物をされていて、京都に移って陶業に就かれている方は多くいるが、中でも伊藤姓や加藤姓の方が多い。
加藤さんは、高校を卒業された後、京都市工業試験場で釉薬の知識を学ばれ、その後、府立陶工訓練校で轆轤の技術を習得された。
昭和52年よりお父さんの下で作陶を始められ、平成元年に「永峰」を襲名。京焼・清水焼展で入選されるなど、陶歴を積み重ねて来られたのだが、加藤さんの作品を見ると、その多様性にまず驚く。ご本人は、「磁器物から荒土までなんでも」と言われるのだが、正に、磁器から土物の作品まで、様々な器が陳列棚に並べられている。

 

 

 

  「興味が湧くとどんな物でも作りたくなるんですよ。でも、ほんとうに磁器でも土物でも、何でも作りますから結局、すべてが中途半端なんです。」と加藤さんは謙遜して言われるが、あくまでもそれは、ご本人の謙遜であって、全く中途半端ではない。一つ一つの作品が、どれも完成度が高いのである。
加藤さんは、平成11年に通商産業大臣指定、伝統工芸士の認定を受けられた。加飾の一技法である陶彫の技術力を認められての認定だ。
その陶彫により模様を施された青磁の作品は、釉薬が溜まった部分がコントラストを産み出す「影青(いんちん)」が非常に美しい作品だ。

 

 

 

 南蛮の器に鬼板(鉄分を多く含む粘土)で塔が描かれた作品などは、しっくり落ち着いた雰囲気で、まるで塔のシルエットを眺めているような景色になっている。交趾釉で彩色された器は、中国の唐三彩を思わせる雰囲気がある。加藤さんの作品は、実にバラエティーに富んでいるのだ。
「私は、色々な作品を見て良いなと感じたら、そのイメージを具現化した作品を作りたくなる。ですから、まず完成品が頭に浮かんでくるんです。そして、その作品に磁器土が合うと思えば磁器で作りますし、荒土が合うなら荒土を使います。私にとって、磁器で有らねばならないとか、必ず土物でといったこだわりはないんです。」

 

 

 まず完成品が頭にありきで、それを作るためにはこの材料をという選択で、加藤さんは作陶に挑まれるのだ。加藤さんの陶器を作られる上でのポリシーは「興味から起こるチャレンジ」だと言われる。
「なにかを突き詰めたいとか、一つのものに対する執着はないんです。」と仰るように色々な作品に挑まれているが、これだけ多種多様な器を作られて、しかも、どの作品もここまで完成度の高いものに仕上げられる加藤さんの技術力には感服させられる。
平成14年には当時の通商産業省から「通商産業省奨励賞」を受賞されている。加藤さんの陶工としての仕事は、今正に円熟を迎えられているように感じる。

 

 

 

 

加藤永峰

1956年 京都市東山区に生まれる
1976年 京都市工業試験場 陶磁器研修コース修了
1977年 京都府立陶工高等訓練校 成形課修了
炭山にて父・永峰(伝統産業功労者賞受賞)の下で作陶を始める
1989年 三代目永峰を襲名
1993年 京焼・清水焼展入選 以後2回入選
1999年 通商産業大臣指定 伝統工芸士に認定される
2000年 東福寺塔頭 明暗寺平住住職より「明暗寺窯」の称号を頂く
2002年 通商産業省奨励賞受賞

明暗寺窯 加藤永峰

京都府宇治市炭山久田2-4

TEL:0774-32-5907