伊藤圭一

2012.11.17 更新

 

京都市東山区泉涌寺で作陶される伊藤さんは、ハワイやパリでも作品を展示販売されている、グローバルに活躍されている陶芸家だ。

伊藤さんのお父さんは、画期的な技法を用いたデザインの作品を発表されるなど、京焼・清水焼の業界内では先進的な役割を果たされた方だったが、伊藤さんがまだ幼い頃に亡くなられた。「父親が早くに亡くなったことは、世間からすればマイナスに見られるかもしれませんが、そのことからも自分でやっていかないといけないという気持ちが強くなったかもしれませんね。」と、伊藤さんは話される。同時に、このお父さんの血も確かに引き継がれているのだろう、伊藤さんの仕事も先駆的なのである。

 

伊藤さんの作品は、交趾(こうち)と呼ばれる色鮮やかな発色をする釉薬で彩色した磁器の作品が中心だ。焼き物の仕事を始められた頃は、染付の磁器を製作されていたが、染付磁器はプリントによるコピーものの工業製品で市場が溢れかえるようになって嫌気がさし、交趾の作品造りに切り替えられたそうだ。オリジナリティーとクオリティーを追求したかったと話される。

確かに、伊藤さんの交趾の作品は、ピンクに発色するものや宝石のオパールのような発色をするものなど、一般の交趾焼にはない色合いのものがある。正に、伊藤さんオリジナルのものだ。

 

ラピットプロトタイピングというコンピューターグラフィックの技術を応用し、正確に八角に面取りされた水指の原型を作り、それを元に作品に仕上げる。今までの焼き物作りにはない革新的な技法を考え付かれたりするなど、クオリティー追求にも余念がない。
「コンピューターグラフィックで原型を作るというと大量生産と勘違いされる人もいますが、そうではないんです。私にとっては器の素地を轆轤で作るのと同じように、それをただ、コンピューターグラフィックで作ることに置き換えただけ。素地を轆轤で作るのもコンピューターグラフィックで作るのも同じことなんです。」

 

現代には、現代であるからこそ存在する新しい技術がある。それを焼き物に応用することは、なんら不自然なことではない。伊藤さんの焼き物に対する積極的な見つめ方が、そこにはあるのかもしれない。

 

「やっぱり、人との出会いが大切です。出会いによって人生の方向が変わってくる。10年前には想像もできなかった自分が今ここにいる。」
伊藤さんは、それまでには陶磁器に使われていなかったような技術や材料も、焼き物に応用できるのではないかと感じれば、開発者と親交を深め、新たな出会いを積極的に求めていく。そして、粘り強く研究を繰り返し、陶磁器にその技術や材料を盛り込む術を実現される。
今までにはなかったもの、他人(ひと)に、簡単に真似されないものを如何にして作るかということを、常に考えておられるそうだ。

 

 

いわゆる、伊藤さんの作品はアート的な作品というよりは、オリジナリティーの強い“商品”であるということも言えるかもしれないが、伊藤さんは「私の場合、どのような陶器が売れるのだろうと考えることが出発点かもしれませんが、良いものを作りたいという強い気持ちで突き詰めていくと、とどの詰まりがオリジナリティーやクオリティーにこだわるという、作家が求めるものと同じにものになっていくのです。」と話される。

 

「焼き物を作っているときは、商売やお金のことは考えていません。ただ、良いものを作ろうということだけが頭にあります。」
20年ほど前にフランスの首都パリで「京焼・清水焼パリ展」というのが開催されたことがある。
その展覧会に参加された伊藤さんは、海外で日本の陶磁器を販売することに、それがきっかけで思いを抱くようになられたそうだが、同時に海外で日本人が商売をする難しさも痛感された。

 

数年が経ったとき、パリで店を構えて料理を出そうと考える京都の料理人と出会うこととなる。「パリで日本料理店を営むという高いハードルに挑むような人は、どういう考え方を持っているのか、非常に興味がありました。」伊藤さんは、この人気店を営む料理人との出会いも大切に考え、親交を深めたのである。

 

そして後に、この料理人との出会いがやがて発展し、ハワイでのレストラン&ギャラリー出店に繋がるのである。
伊藤さんは、「料理人の方や世間一般の方から、陶器を作っている人は、人にできない次元の高い仕事をしていると思ってもらえて、一目置かれるようなところがあります。ですから、陶磁器にかかわる者はその期待に応えるべく誇りを持って仕事をしなくてはと思いますね。もっと表に出て行くことも大切なことで、常に向上心を持って取り組めば必ず良い方向へ進むと思います。」

 

ドイツには、マイスター制度というのがあり、高品質な物を作れる職人がマイスターの称号を与えられ、人々から尊敬される風土があるらしい。ただただ、羨ましい国だと指を咥えて思っているだけではいけない。日本でも、そうあるべきと伊藤さんは言われているように思えた。もの作りとしての姿勢、陶器を生業として仕事をして行くにはどのようにすべきなのか。伊藤さんは自らそれを実践されているのだと思えるのである。

 

伊藤さんが工房を構えられる泉涌寺地区は、同じ窯元約50軒が集まる陶業地である。
秋には毎年「紅葉まつり」なる陶器市が開催される。伊藤さんは、このお祭りでも企画立案者として中心的な役割をされている。
焼き物に対しても先駆的な活動をされ、地域の祭りでもリーダー的な存在で、才能豊かな方と言えるだろう。これからも、陶器業界を牽引するリーダーであってほしい。

 

伊藤南山

1959年 京都市に生まれる
1994年 パリにて個展を開催
1999年 伝統工芸士に認定される
2005年 浅黄交趾鳳凰紋皆具が鵬雲斎大宗正の御好物となる
2007年 水指がマレーシア国立美術館のパブリックコレクションとなる
2011年 京都デザイン賞入選

有限会社 平安陶花園 伊藤圭一

〒605-0976 京都市東山区泉涌寺東林町37
TEL:075-561-8223
FAX:075-533-0007
E-mail:nanzan@toukaen.jp