日本全国各地に焼き物の産地が存在するが、沖縄にも伝統的な焼き物がある。沖縄の焼き物は”やちむん”と呼ばれ、琉球王朝時代から続く、独自の伝統技法で作られる焼き物である。この”やちむん”という呼び名は、焼き物が沖縄の方言でなまったもので、沖縄では古くからこの呼び名で親しまれてきた。
那覇に古くからある壺屋焼は琉球王朝時代に各地に点在していた窯元を一箇所に集めたことによって興った、やちむんの里として現在では有名だが、那覇の都会化による排煙問題から那覇より北の読谷村(よみたんそん)に、4人の作家によって窯を移された読谷山窯という、もう一つのやちむんの里があるという。
今回、取材をお願いした高木竜太さんは、この読谷村のやちむんの里である読谷山窯で焼き物の修行をされた。
「高校を卒業した後に陶工高等技術専門校に行き、その後、京都市産業技術研究所の陶磁器研修を修了しました。そして直後に沖縄に行ったんです。」
高木竜太さんは、陶工高等技術専門校で轆轤成形の技術を習得され、産業技術研究所の陶磁器研修で焼き物の基礎を学ばれたのだが、そのまま京都で作陶を始められるのはなく、あえて、沖縄で修行される道を選ばれた。
「とりあえずは、私は京都を出たかったんです。親の影響下から離れたかったというのが本音かもしれません。窯元の息子という扱いをされるのが嫌だったんです。」
高木竜太さんがお生まれになった家は京都に代々続く窯元で、雅号を岩華(がんか)という。竜太さんはそういう名のある窯元の息子ということで、特別扱いされることを嫌ったのだろう。
「よく、なぜ沖縄に行ったのかという質問をされます。ほんとうに、良く訊かれるんです。焼き物の産地は全国数多くあるのに、なんで沖縄なのかという疑問なのでしょうね。なぜ、沖縄を選んだのかという理由は、家族旅行で沖縄に行ったことがあったんです。
その時に行ったのが読谷村のやちむんの里の見学で、父親にこんな焼き物もあるんだよということで連れて行ってもらったんです。その時に見た焼き物に直感でいいなと思ったことと、京都では今はもう電気かガスの窯で焼きますが、今なお読谷では登り窯で焼き物を焼いているというところに心惹かれたのが大きな理由ですね。
それに、読谷村まで来ると京都の岩華窯なんて誰も知りませんし、何人もいる内の一人のただの弟子として扱っていただきましたから、居心地は良かったです。」
高木さんが、読谷村で一人の弟子として師匠より教わった焼き物は、白化粧を施した素地に上薬をかけ、またその上に別のいくつかの釉薬で模様を描くというもので、筆の勢いが強く出る装飾の焼き物である。
沖縄の焼き物、やちむんには大きく分けて二つがあるらしい。一つは“あらやち(荒焼)”と呼ばれる焼き物で、荒い土を使って器を形作り、釉薬をかけずに1000度以上の高温で焼き締めることにより、土味を感じられる荒い印象を持つ焼き物だ。
もう一つは、“じょうやち(上焼)”と呼ばれるもので、やや鉄分を含んだ陶土に白化粧を施し、釉薬をかけて焼き上げたもので、使われる釉薬の色は数種類ある。高木さんが、師匠より教わったのは後者のじょうやちの方である。
「登り窯の焼き方から、轆轤での器作り、釉薬の調合など、沖縄では師匠からいろんなことを教わりました。覚えることは本当にたくさんありましたので、毎日ノートに、その都度書かないと覚えられないんですよね。登り窯を焚くときも、焚き方をメモするために持っていきますから、こんな煤けたノートになってしまいました。」
ノートにびっしりと書かれたメモに、沖縄時代の高木さんの努力が垣間見られる。登り窯を焼く薪の煤の汚れに、赤々と薪が燃える胴木の横で炎に照らされながらメモを取る高木さんの姿が目に浮かぶようだ。
「沖縄のやちむんでは、轆轤で器を作った後、まだ、やや水分が残っている土の状態の時に白化粧をして、その後少し乾かして上薬をかけるんです。普通は、上薬をかける前に素焼きをするのですが、沖縄では素焼きはしません。そして、上薬の上に違う発色の釉薬で模様を描きます。その時、筆に含ませる釉薬はたっぷりと含ませないと描けないので細い筆は使わないですね。そして、京都で下絵に使う呉須などのように粒子が細かくないので、筆は走らないです。ですので、模様は一発勝負で描くことになります。それだけに、描いた模様は筆の勢いが出たものになるんです。」
高木さんは、沖縄で学ばれた釉薬による模様の描写技法を取り入れ、父親より受け継いだ岩華窯の作風と融合させた作品造りをされている。沖縄では、鉄分を含んだ陶土を用いて器を作るが、岩華窯では鉄分の少ない磁土で器を作る。
「磁器の土で作るので、沖縄の時のように白化粧をする必要はないんです。ですので、磁土では沖縄ではやらない素焼きをします。そして、上薬をかけてその上に釉薬で模様を描くんです。主に使っている釉薬はコバルトを発色剤にした、いわば瑠璃釉を使うのですが、この瑠璃釉の調合を完成させるだけでも結構時間がかかりました。単に上薬として素焼きの素地に釉がけするのではなくて、先に上薬をかけたものに模様を描くための釉薬ですから、一般的な瑠璃釉の調合では、やはり、色が薄く出てきてしまうんです。料理でいえば“隠し味”とでも言うんでしょうか、しっかりとした発色をさせるために、隠し味的に岩華窯で昔から使っている呉須を加えています。」
瑠璃釉だけでなく、高木さんはトルコブルー色の釉薬なども独自の調合で作られている。この釉薬は、ブルーに輝くような沖縄の海をイメージされたものだそうだ。
「沖縄の作家の方で、実際にトルコブルーの釉薬で作品を作っている方がおられます。沖縄の海は本州の海、特に日本海の海とは違って、本当に南国の海の色をしていて、青々としています。そのイメージを作品に持って来れたらと思って、色を出すために釉薬を調合しました。」
沖縄で学んだことや感じたこと、沖縄のイメージなどの要素を取り入れ、従来からの岩華窯の作風と融合させた作品を作ることに精魂傾けておられる高木さんだが、あくまでも、基本にあるのは岩華窯の作風だと高木さんは言われる。岩華窯の伝統を守っていくのがベースなのだと。
「やはり、岩華窯の伝統を守っていくのが一番大事だと思っています。岩華窯の作風をベースにして自分らしさを取り入れていくという方向で今は仕事をしています。私には姉がいるんですが幸いなことに、姉は絵付け師なんです。ですので、姉に染付や赤絵、鉄絵など岩華窯の伝統的な絵付けをしてもらって、私が新たな岩華窯の作品に仕上げる形で、姉弟で協力し合って、これからの岩華窯の作品を作っていくという道があると考えています。」
高木さんは岩華窯の作品造りを父親から受け継いだものだが、父親が最近若くしてこの世を去られた。残念ながら、父親と共に仕事をした期間は短かったという。
「沖縄では3年間仕事をして過ごしましたが、京都に帰ってから父親と一緒に仕事をしたのは結局、2年間だけでした。沖縄時代より短いんですよ。もっと、色々なことを父親に訊いておけば良かったと今では思います。でも、いろんな人が助けて下さったり、協力して下さったりして、仕事をしていけているんだと今は感じています。本当にありがたいことです。」
沖縄で学ばれたことを活かした瑠璃釉やトルコブルーの釉薬は美しいし、それら沖縄の技法を取り入れた作品は、他の京焼にはない独自性を強く持った作風になっている。父親が早くして亡くなられたことは残念ではあるが、姉弟で協力し合って岩華窯の伝統を守っていって欲しい。
高木岩華
高木竜太
1988年 京都市に生まれる
2008年 京都府立陶工高等技術専門校成形科修了
2009年 京都府立陶工高等技術専門校研究科修了
2010年 京都市産業技術研究所 陶磁器本科修了
沖縄読谷山焼 山田真萬氏に師事
2013年 父、五代目高木岩華に師事
2016年 五代目岩華死去に伴い家業を継承
京都伝統陶芸家協会会員
岩華窯
明治初期 清水坂にて創業
大正11年 京都陶磁器奨励会 知事賞受賞
昭和16年 二代目岩華が陶磁器芸術保存作家に指定される
平成5年 五代目岩華 京焼・清水焼展入賞
平成8年 五代目岩華 伝統工芸士に認定
初代より続く京都の陶芸の流れを主体とし、乾山、仁清、祥瑞写しなど
伝統技術の手仕事中心の製作を守りつつ、使いやすく心ある夢のある
作品造りを心がけ、新しいことにも挑戦しています。
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