寺尾智文

2014.08.07 更新

  「昔に作られた良い物を見て、そこから学び取り、自分の作品に生かすことができるかというのが、私の一貫した作品造りのテーマです。」と、寺尾さんは熱く語られる。
寺尾さんは高校卒業後の1年後、京都府立陶工高等技術専門校の図案科に入られ1年間、陶磁器の絵付を学ばれた。訓練校修了後は、寺尾さんが生まれ育った地元の窯元二軒に、それぞれ4年間ずつ、染付の絵付職人として計8年、従事された。
「独立後も、当初は染付の仕事を主にやっていましたが、染付だけに限定すると、絵の題材も限られてくるので、絵付の技法も、絵の題材も染付以外の物に新たな分野を求めるようになりました。」
染付の代表的な模様には祥瑞があり、絵の題材としての代表的なものは山水図などがあるが、絵付技法を染付に限定すると、どうしても、それらの題材に限られてしまうということがある。自ら描きたい絵があること以外に、染付の作品となると、市場の方からそういう題材の物が求められるということがあるからだ。
そういったジレンマに悩んだ結果、寺尾さんが自分自身の作品のテーマとして、巡り会ったのが「シルクロード」であった。

 

 

  「もともと、ペルシャにまつわるものが好きでしたし、シルクロードを題材にと考えついたとき、インスピレーションを受けたと思いました。それから、シルクロードをテーマに染付の呉須の絵の具だけでなく、上絵の具も使った絵を作品に描くようになりました。」
インスピレーションを受けたからといっても、一朝一夕に、すぐにでもシルクロードの絵を作品に描けるものではない。染付職人として8年間の経験で培われた絵付の技術、寺尾さんご自身が持っておられる天性の絵心とでも言うのか、絵付師としての確立された技術がないと、作品に生かせるもではないだろう。寺尾さんは、陶磁器の絵付だけでなく、普通に紙に描かれる絵も実に、見事な絵を描かれる。
寺尾さんが絵を描かれた、掛け軸などを見せていただいたが、それらを見ると焼き物の絵付師というだけではない。寺尾さんは正に、絵心を持った絵師なのだと痛感する。
作品を収納する木箱にも、寺尾さんは絵を施されることがあるが、こうなると、焼き物の作品だけでなく、それを入れた木箱も含めて、寺尾さんのすばらしい作品となる。
寺尾さんによって、シルクロードをテーマに描かれた作品は、今までにない、他にもない作品として、確固たる高い評価を各方面から得ている。
「あるとき、足立美術館で開催していた北大路魯山人作品展を一人で観に行った時があったのですが、一人だけで観に行ったので、何時間もかけて、何回も繰り返し魯山人の作品をじっくり観たんです。そのとき、魯山人作品のバリエーションの豊富さにまず、驚きましたし、こんなに様々な作品を魯山人は残しているのに、どれを見てもそのすばらしさに感動し、なんで、こんなにも良い物が作れたのだろうという思いに辿り着きました。それで、魯山人が書いた本をいくつも読みあさってみると、魯山人は、自分が良いと思ったあらゆる骨董を買い集めていたらしく、それらの骨董を時間があればいつも、何時間でも眺めていたらしいです。どうやら、魯山人はそうやって眺めていた骨董から得たものを作品に生かしていたようです。」

 

 

 魯山人の作品に心打たれた寺尾さんは、昔に作られた良い物から学び、自分の作品に生かすことを、この頃から強くご自身の作品造りのテーマとして持たれるようになったそうだ。
「昔の良い物から学び、それを作品に生かそうとした陶磁器の名匠は魯山人だけではありません。濱田庄司や荒川豊三、河井寬次郎などの昭和を代表する名工も同じことをしていました。私もまた、そういった先人から倣おうという思いです。」
江戸時代前期に、京焼の祖でもある野々村仁清や尾形乾山などの琳派と呼ばれる名工が現れる。

 

 

 「仁清や乾山など、彼らの作品は、それまでにはなかった新たなオリジナリティーを作り出していたものです。その凄さにまず脱帽します。そして、それらの作品を見て、そこから学び取り、自分なりに自身の作品に生かしたものを作ろうとしてやってみると、その過程でまた、なるほど、こういうことがあったのかというような発見がいくつもあるんです。そうやって一つ一つ、自分のものにしていくという感じです。」
寺尾さんのこの話を聞いたとき、私は高校時代の恩師の言葉を思い出した。「自分がすぐさま理解できない色々な事象に出くわしたとき、それがわからないからといって、考えることをやめてはいけません。一番、大切なのは、なんでそうなったのかということを自分で考えることなのです。」という言葉だ。

 

 

 私は、この言葉が今でも強く残っている。昔の良いものと向き合い、とりあえずは、模倣して作るだけでも得られるものは必ずあるはずだ。同じ物になるようにと作っている過程で、なんでこういう作品になったのかということを考えることで、見えてくるものがあるのだと思う。
寺尾さんは、時間があると骨董店に足を運び、気に入ったものでしかも、自身の作品に役立ちそうなものを見つけると、購入して収集もされているらしい。
「骨董店の店主から、昔の茶盌のデザインだけをそのままそっくり写して作ったようなものは必要とされなくなっていると言われます。昔の良いものから吸収したものをベースに、なにか自分なりのものをプラスして、今までにない良品を作らないと勝負になりません。でも、このなにかをプラスするということが、一番難しいのですがね。」
言われるとおり、作り手にすれば、自分なりの何かをプラスという作業が正に、作り手としての仕事そのものなのだが、これが難しい。しかし、これを怠っては、作り手としての存在意義をも否定することになってしまうのかもしれない。

 

 

  「昔の良いものからデザインだけでなく、作品の雰囲気と作風を学び、自分なりの個性をプラスしていく。このことを怠らずに向き合っていく限り、焼き物の世界においても、この先の展望は見いだせると思います。実際に、そういう作品を求めている方は大勢いますから。」
陶磁器が売れなくなっている現在、廃業を余儀なくされる陶磁器事業者は少なくない。しかしながら、寺尾さんが言われるように、過去の良品に真摯に向き合い、個性を見出せる作品造りを怠らなければ、将来においても、陶業界で活動を続けられるに違いない。ある意味、今は陶業界においても、淘汰の時代なのかもしれない。
寺尾さんは、定期的に大丸百貨店で個展、香川県高松市にある興願寺というお寺で個展をされている。
「京都のようにお寺がたくさんある土地柄ではないからでしょうか、個展をさせていただいている高松市の興願寺は、地域の方々にとって存在が大きくて、文化の発信地であり、心のよりどころとでも言えるお寺なのです、ですので、地域の人が気軽にお寺に出入りされています。お寺と地域の密着度が高いとでも言いましょうか。個展開催の間は、お寺に泊めてくださって、食事も用意してくださいますので、とてもありがたいです。個展の前になると、お寺の方から作品に関して、色々な意見をいただきます。」
寺尾さんは、その人柄も含めて、作品と共に愛される存在なのだろうと感じる。焼き物に取り組むその真摯な仕事ぶりが、これからも寺尾さんの作品に表現されていくのだろう。

 

 

 

寺尾陶象

1955年 京都に生まれる
1975年 京都府立陶工高等技術専門校修了
吉田瑞泉窯にて修業
1979年 大野瑞昭窯にて修業
長期技術者講座日本画作品展知事賞受賞
1981年・1985年 日本南画院秀作賞受賞
1983年 京都東山に陶象窯を開窯する
1990年 淡交社主催「’90明日への茶道美術公募展」入選 御祝いに裏千家鵬雲斎前御家元より御箱書を頂戴する
1992年 淡交社主催「’92淡交社ビエンナーレ茶道美術展」入選
1994年 大阪朝日ギャラリーにて個展開催
1996年 京焼・清水焼伝統工芸士に認定される
1998年~2002年・2004年 京焼・清水焼展受賞
2006年~2010年・2012年 京焼・清水焼展受賞
2000年・2003年・2006年 大丸京都店にて個展開催
2009年・2013年 大丸京都店にて個展開催
2001年 横浜高島屋・日本橋高島屋にて個展開催
2002年・2005年 大丸神戸店にて個展開催
2004年 東急本店にて個展開催
2005年 広島福屋八丁堀店にて個展開催
2008年 大丸東京店にて個展開催
2010年・2012年 高松市興願寺にて個展開催

陶象窯 寺尾智文

〒606-0953 京都市東山区今熊野南日吉町44-1
TEL/FAX 075-541-3888