幕末から明治初期にかけて、当時の京都で京薩摩なる焼き物が焼かれていた時代があったのをご存じだろうか。その京薩摩を現代に蘇らせるべく、小野多美枝さんは作陶を続けておられる。
京薩摩の元となった薩摩焼は、19世紀後半の1867年に開催されたパリ万博や1873年にオーストリア、当時のハンガリー帝国の首都ウィーンで開かれた国際博覧会で日本の出品物の一つとして、出品されたのをきっかけに、その豪華絢爛さと細密さで、当時のヨーロッパの人々に爆発的な人気を得て、ヨーロッパにおけるジャポニズム振興の一役を担ったといえる。
京薩摩は、当時ヨーロッパでブームとなっていた薩摩焼を、京都で模倣し、作っていたものであるが、薩摩のものよりも、より伝統的な日本のデザインを意識して焼かれていた、都の華麗さが加味されたものと言えるものであった。
そんな京薩摩の作陶をされている小野さんは、学生時代は陶器そのものには興味がなかったという。
「私は、高校は商業科に通っていました。でも、商業科の生徒なのに自分は事務仕事が性に合わないと思うようになって・・、元々、絵を描くことが好きでしたから、高校の美術の先生に絵を描く仕事がしたいと相談したら、先生のお知り合いにたまたま窯元の方がおられて、その窯元に就職することになったんです。」と、小野さんは、焼き物の世界に入られたいきさつを言われる。
「念願の絵を描く仕事で窯元に入ったのですが、この窯元でやっている仕事は薄々ながら、真正なる伝統工芸ではないと思うようになりました。それまで、伝統工芸とはなにかということも知らなかったのに不思議ですよね、もっと古いものをやりたいという気持ちに変わっていったのです。」
焼き物の世界に入られた初期の頃から、小野さんは、真の意味での伝統工芸的なもの、昔に作られた工芸的に崇高なものへのこだわりを持っておられたのかもしれない。
「そのような思いから、違う窯元へ移りました。しかし、その窯元では、また、工業的な技術による焼き物も多く作られていて、伝統工芸を求めていた私の思いからずれていました。そんなとき、初めて京都府陶工職業訓練校の存在を知ったのです。」
高校の商業科を卒業してすぐに、全くの畑違いの焼き物の世界に入り、絵付けの仕事を経験した小野さんだったが、真の伝統工芸を求める思いから、窯元を辞めて陶芸の絵付けの基本を改めて学ぶため陶工訓練校に入校された。
「学校を出てからすぐに陶工訓練校に入ったのではなく、窯元で絵付けの経験があってから訓練校の図案科に入りましたから、教えてもらうこと一つ一つが経験の基盤上にあったので吸収が早かったですね。今から思えば、それが良かったと思います。」
陶工訓練校の図案科では、染め付けの修学をなされたことから、訓練校修了後は、染め付けを専門とする窯元に、絵付師として就業されることになる。
清水焼の染め付けの窯元で数年、絵付けの職人として陶業に就かれ、その後、独立されて、個人として絵付けの仕事を請け負われていたころ、友人の誘いで、京都府南丹市にある「TASK・京都伝統工芸大学校」で絵付けの講師をされるようになった。
「その頃はまだ、学校も開設したばかりだったので、陶芸の絵付けの講師は私一人で、1年間だけ染め付けを教えていたのですが、2年目、3年目になった時、学生が一気に増えましたので、染め付けだけでなく色絵も教えてほしいとの要望が学校から出るようになりました。それまで私は、染め付けの専門だったので、それこそ、生徒と共に学ぶような感じで、色絵のほうも勉強していきました。」
染め付けを専門とされていた頃は、染め付けこそ陶磁器の絵付けの王道であって、筆一本、ゴスの絵の具一色で極めていくというような、考えがあったと小野さんは言われる。だが、運命に導かれるように小野さんは、色絵の世界へも入ることとなり、やがて、その色絵を極める人生を歩まれることになるのである。
「学校からの要望で色絵を始めるようになりましたが、正直なところ始めの頃は、あまり色絵には興味がありませんでした。でも、40歳を過ぎた頃に九谷焼の“赤絵細描”というものを目にする機会があったんです。それを見たときに、それまで興味がなかった色絵に心惹かれるようになりました。もともと、細かい手仕事が好きだったということもありましたし、九谷焼の細かな色絵のものには感銘を受けました。それで、赤絵を1年間ほど勉強したのです。」
そして、九谷焼の色絵に心動かされた小野さんは、程なくして運命的な焼き物との出会をされることになる。
「九谷焼に感銘を受け、赤絵を描く日々を過ごしていましたが、赤一色ということでは同じ一色しか使わない染め付けと似たようなところがありますし、一色では物足りないと思うようになっていた頃、清水三年坂美術館で「まぼろしの京薩摩展」という展覧会で初めて、京薩摩の作品を目にしたんです。そのときに、一瞬にして私の一生の仕事が決まったと感じました。」
これこそ正に、運命的な出会いとでもいうのだろうか、あるいは、出会うべくして出会ったとでもいうのであろうか、小野さんが人生をかけて極める焼き物が京薩摩であることが、このとき決定したのだ。
その小野さんが作られる京薩摩の作品は、崇高にして細密、一見して人が手描きして施された絵だとは思えないような、非常に緻密に描き込まれた絵で、いつまでも見入ってしまうような、心を引き込まれるような絵である。
「初めは、それこそ絵の具もわからなければ、使われている筆もわからない、京薩摩という焼き物の絵がどうやって描かれたものかが全くわかりませんでした。でも、作りたいという気持ちを強く持って続けていくことが、大切だと思うのです。京薩摩に関して、私は師匠について修行したとか、だれかに教えてもらったとかということはありません。すべて独学です。強いて言うならば、師匠は昔の京薩摩の焼き物です。昔に作られた京薩摩の焼き物を見て、こうすればできるだろうというような、試行錯誤で、一つ一つ解明しながら先に進んでいるようなやり方です。」
かつて京都で盛んに作られていたにもかかわらず、今では火が消えたように、手がける窯元が皆無な京薩摩である。そんな事情もあったからだろうか、独学とは言われるものの、小野さんの京薩摩の作品は、最初の発表時点ですぐさま問屋、陶器販売店等の注目も集めたようだ。
小野さんが、京薩摩を作られるようになってから、おおよそ12,3年が経つそうだが、初期の頃の作品に比べて、より緻密な絵のものに進化を続けている。
お手本とされている昔に焼かれた京薩摩の焼き物に限りなく近づいているのではないだろうか。いや、むしろ、昔のものを超えているかもしれない。
問屋、陶器販売店等で取り扱われている小野さんの作品は、その9割近くが、外国人の購入者で占められているそうだ。
「19世紀末にヨーロッパで興ったジャポニズムで根付いた、日本の焼き物といえば“薩摩焼”というイメージが、今でもあるのでしょうね。日本に観光で来て、日本の焼き物を購入したいとなれば、京薩摩の焼き物を選ばれるのでしょう。これぞ、日本の焼き物と感じられるのではないでしょうか。」
確かに、小野さんが言われるように日本の焼き物イコール薩摩焼というイメージが、小野さんの京薩摩購入に向かわせることもあるだろうが、それだけではないという気もする。焼き物を生業とする同業の者の目から見ても、小野さんの作品には非常に強いインパクトを受ける。熟練した絵付け職人でもすぐさま同じ絵を描けと言われても到底、描けないであろうと思われるような、非常に高度な技術で施された絵付け、洗練されたデザイン、周到に計算されたような器のフォルムなど、作品として最高峰レベルといっても過言ではない。外国人も、そのハイレベルな小野さんの作品に心底、納得するからこそ、購入するのだと思う。
「何年もずっと一人でやってきましたが、展覧会をやりながら注文のものも作ってとなると、どうしても手が足りなくなるので、京都伝統工芸大学校での教え子や、私の作品を見て弟子入りのような形で工房に来るようになった人で、絵付け師として私を手伝ってくれる人が一人ずつ増えて今では私を含めて4人になりました。昨年までは「空女(くうにょ)工房」としてやっていましたが、今年に入ってからは、「株式会社 空女」としてやっています。」
焼き物を志す者にとっても、小野さんの作品には心惹かれるものがある。作品から溢れ出るような魅力を感じる。小野さんの作品は、問屋、陶器販売店等に納品されるものであっても、一つ一つ違うデザインの絵で、新たなものを納品されているそうだ。例え、受注であっても、この品物と同じものを作ってくれというような、既存の見本通りのものを作る量産ではない。いわゆる、“おまかせ”なのである。次に、どんな作品ができあがってくるのかを皆が楽しみに待つのだ。
これからも小野さんは、より京薩摩を極めて行かれることに違いない。
空女/Cu-nyo
代表:小野多美枝 京焼・清水焼 伝統工芸士
京都生まれ
1972年 | 清水焼窯元にて絵付け職人として勤める |
1976年 | 京都府立陶工高等技術専門校 卒業 |
1996年 | 京都伝統工芸大学校 絵付け講師に就任 |
2011年 | NHK「美の壺」出演 |
2012年 | 京都美術工芸大学 絵付け講師に就任 |
独自で京薩摩の技法を研究、現在も復興に挑み続けている。
『京薩摩』とは、
明治初期から大正期にかけてわずか数十年の間だけ花開いた京都の焼き物。
輸出用に作られその華麗さ精巧を極めた職人技で多くの欧米人を虜にしました。
その技術は現在に殆ど伝えられておらず幻の器とも呼ばれます。
『華薩摩』とは、
空女オリジナルの名称、磁器に描いたものを「華薩摩」
陶器に描いたものを「京薩摩」と呼んでいます。
株式会社 空女
〒612-8081
京都市伏見区新町10丁目371番地
TEL:075-623-1738
E-mail:ono@kyoto.zaq.ne.jp