笹谷 博

2014.02.18 更新

ハイグレードなオーディオ装置からジャズが流れる工房で、作陶をされる笹谷博さんは学生時代、電子工学の勉強をされていたという、ユニークな経歴をお持ちだ。

「こういうオーディオや電気関係の仕事をしたいと学生時代は考えていました。でも、ちょうどその頃、父親が窯元として独立したので、その仕事を手伝おうという気持ちに代わったんです。」

笹谷さんは、工業高校の電子工業科を卒業されてすぐに、京都府陶工訓練校の図案科に入られ、絵付の技術を学ばれた。その後、京都市工業試験場の技術養成所を卒業され、陶業に就かれている。

20歳になられた時、力試しにと初めて出品した京展や工美展で入選されている。
その頃、民芸ブームの延長でクラフト運動が起こっていた。
当時、京都市も力を入れていた「京都クラフトセンター」には、いろいろな分野の物作りの人たちが、今までにないものを作ろうという気持ちを持って集結していた。
笹谷さんは、その考えに賛同してクラフトセンターに参加され、作り手としてスタートしたと言われる。

 

 

その頃、京都市内の窯元が、京都府宇治市炭山地区に移り始め、組合としては、今は解散した(協)炭山工芸村が最初に出来、続いて(協)京焼炭山、そして三番目の組合である(協)炭山陶芸のメンバーとして炭山に工房を移された。

「当初は、父親がロクロをして、私が絵を付けるという二人三脚で仕事していましたが、私が30歳の時に父親が急逝し、にわかに、私一人で、窯元の仕事のすべての行程をやらないといけなくなったんです。」

若くして父親を亡くされ、窯元としての仕事の全てを一人でこなさなければいけなくなった笹谷さんは、ロクロだけで無く、手捻りの技法や型成形の器に手を加えることで、器を作り出されるようになる。

 

 

 

笹谷さんは、工業高校のご出身で、学生時代は電子工学の勉強をされていたが、部活は美術クラブに入られていて、油絵やデッサンを勉強されたそうだ。学校での勉強を通して、工業デザイン的考え方があり、物作りということでは、クラフト的な感覚で仕事をしたいと考えているとも言われる。

「私は、陶業とは全く別の世界から、陶芸に憧れてこの世界に入ってきた人たちと異なり、模倣をしたい、一歩でも近づきたいと思う、バイブルのような焼き物はありません。常に、なにか、今までにない新しい物を作りたいと言う気持ちでいます。」
昔に作られた物のコピーを作るのではなく、自分なりの新しいものを作りたい。何百年か後に、その時代の人が、今作られている陶器を見たとき、「昭和や平成の焼き物と言っても、桃山時代や江戸時代のコピーを作っていただけなんだ。」と思われるのは恥ずかしいと思いませんか?と言われる。

 

 

 

平成の物作りならば、平成に生きる自分たちが、デザインでも技術でも、何か新しい伝統を生み出すくらいの気持ちでやらなければならないと考えておられるそうだ。

「京焼の伝統を大切にしながら、伝統に甘えず、伝統に縛られない、物作りを目指しています。」

「昔に作られた秀逸な陶磁器を目指して作る方は、音楽家に例えると、バッハなどのクラシックを弾いている演奏家に当たると思うんです。今までにない焼き物を作ろうという人は、音楽家で言えば作曲家に当たる。私は稚拙でも、作曲もする演奏家でありたいと思っているんです。」

 

 

焼き物の伝統を学び、伝統を大切にしながら、それをベースに新しい物作りに挑戦しようというのが笹谷さんの一貫して変わらないポリシーなのだ。

そんなポリシーから、今までにもなく、他にも類を見ない正に画期的な焼き物を笹谷さんは作られた。その一つが、コーヒー豆の焙煎器である。

笹谷さんは、かなりのコーヒーの愛好家でもあり、焼き物でコーヒー豆を焙煎しようという発想は、愛好家ならではのものだ。そこに笹谷さんの今までにない焼き物を作るというポリシーが加わって、具現化された焙煎器なのである。

実際に、笹谷さんはコーヒーの生豆を焙煎器に入れ、火にかけて焙煎して見せて下さった。予熱に10分ほど、生豆を入れてから20分ほどで、合計30分くらい、焙煎できるまでにかかるのだが、焙煎器に入れる前は緑色だった生豆は焙煎が終わり、器から出されると、見事な褐色の香ばしい香りを放つ豆に変わっていた。

 

 「直火ではなく、加熱された陶器から発せられる遠赤外線で、豆が焙煎される仕組みですから、美味しいコーヒー豆になるんです。ただ、焙煎が終わるまで、手でグルグルと30分も回していなければならないので、そこが今後の改良点で、モーターで回すようにしようとも考えています。でも、コーヒーが本当に好きな人なら、この回している間も楽しく感じると思いますよ。だって、美味しい豆になって出てくるのを想像しながら回すのですから。」
そう言われるとおり、笹谷さんは、楽しそうに実演して見せて下さったのである。
もちろん、笹谷さんは、この焙煎した豆で入れたコーヒーを飲ませてもくださった。遠赤外線の効果なのだろう、嫌な苦味はなく実にまろやかで、美味しいコーヒーになっていた。この焙煎器は、「珈悦(こうえつ)」という名前で、ユーチューブでも紹介されているので、そちらもご覧いただきたい。

 

 

 

笹谷さんは、手捻りで可愛い干支の香立てやフクロウのペーパーウエイトなども作られている。
こちらも製作の様子を実演して下さったが、見事な手際で、あっという間に作られていく。普通ならこのような造形物は、型作りによって生産されることで、大きさや形が揃えられるが、手作業だけで、同じ物をいくつも手際よく作られていく。
その作業は、笹谷さんが「作りたい物を作る」ために生み出した、独自の手捻りの技が有るから故、なせることなのだろう。
「できあがったものを見せると、皆さん、やはり型作りだと思われるようです。でも、食器が売れなくなった今、これらの物は、継続的によく売れています。」
「陶器」から「器」の文字を無くして「陶」そのもの可能性を求めて食器以外の物も作り出せば、新たな販路の拡大になる。

 

 

 

円筒形なのに、模様による視覚効果で面取りのように見えるカップなど笹谷さんの作り出すものは、京都クラフトセンター時代に知り合った、日本各地の、いろいろな分野の工芸家との交流から生まれた、クラフト作品だと感じる。

考えてみれば、桃山時代の仁清や乾山の作品は、その時代、過去にはなかった焼き物を新たに作り出していたものだ。
江戸時代の焼き物も、その時代の最先端の物を、先達は作っていたからこそ、現在、焼き物の逸品として残っているのだろう。

現代の私たちも、今の時代に求められる最先端の焼き物を作るのが、陶人としての使命の一つと言えるのかもしれない。
過去の先達から学び、伝統を重んじながら、現代の技術や素材を活用することで新たな物を創造できればと願いたいものだ。

 

 

笹谷 博

1950年 京都市に生まれる
京都市立 洛陽工業高校 電子工業科卒業
京都府立陶工職業訓練校 図案科卒業
京都市工業試験場 技能養成所卒業

 

工美展 入選
京展 入選
京都市クラフト展 入選
全国青年伝統工芸展 優秀賞受賞
Made in Kyoto ベストデザイン賞 入選
京焼・清水焼展 入選
工芸都市高岡2001クラフトコンペ 入選
フランク・ミュラー(FRANCK MULLER)社の依頼を受け、記念品を制作

暁陶房 笹谷 博 (飛露)

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