江戸時代中期から代々、陶業に携わる家柄にお生まれになった川尻潤さんは、現在、陶芸作家として活躍されている。
家に残る古文書に記された家系図によると、陶業に就いた初代は加賀藩の九谷焼御用窯で工場の長をされていた記録が残されているそうだ。
川尻さんは、東京芸術大学の美術学部、デザイン科を卒業され、その後、同大学の大学院で修士課程と博士課程の両方をデザイン専攻で修了されている。修了後は同大学のデザイン科で助手を勤められ、後に非常勤講師もされていた。
東京芸術大学には陶芸専攻もあるそうだが、川尻さんは、陶芸専攻ではなくデザイン科で学ばれた。
「最初は、家業を継ぐためにデッサンを習いなさいと言われたのですが、デッサンをやっている内にデザインが面白くなってきて、父親にデザインをやりたいと申し出たところ、陶芸は家でも覚えられるから、大学ではデザインを習った方が良いと言われてデザイン科に入りました。決して、陶芸をやりたくないから、デザイン科に入ったというわけではないんです。」
大学及び大学院では、陶芸については一切学ばず、陶芸はお父さんから伝授されたのだそうだ。
川尻さんの家は、禎山窯という窯元でもあるのだが、お父さんは日展で作家としても活躍された。日展作家であったお父さんの作品は、美しいフォルムを持った白磁の作品であったが、子供の頃からそれらの作品を見ていた川尻さんは、「白ばかりでつまらない。」とも感じておられたそうだ。
「男の子にはやはり、一時期でしょうが父親に対して反発心を持つ時期がありますからね。でも、そういう白磁に対する反発から今の、私の作風があるということかもしれません。」
川尻さんの作品は、大胆な色使いをしたものが多く、躍動感を感じるような作風で、静的なイメージを感じさせる白磁とは、全く正反対の雰囲気を持っている。今の、色使いを駆使される作風に関して、お父さん以外に影響を受けられた人がいるのか、川尻さんに訊いてみた。
「大学時代に琳派の勉強をしていたとき、その大胆な作風に、自分なりにとても驚いたんです。それまでは西洋の美術を勉強していて、日本よりも西洋の美術の方が優れていると思っていました。しかし、琳派を学んでみると日本にもこんなにすばらしい美術があったことにびっくりしました。しかも、琳派のものは、決して古くささを感じることがなく、今日的に思います。野々村仁清や尾形光琳・乾山、俵屋宗達などの西洋美術にも引けを取らない芸術性の高い作品、茶の美と見事に融合した琳派の作風にあこがれました。」
美術史研究者の中には、琳派の作品は芸術的なレベルの高さでは世界的に見ても当時の最高峰であったのではないかと評する人もいる。
鮮やかに発色した絵の具や金までをも使った川尻さんの作品は、食器もあれば花生けもあり、オブジェの作品もある。
磁器土を使った作品も、表面はゴツゴツとした土感を残した成形がされており、土味が活かされたものになっている。色合いといい、土味が活かされたフォルムといい、その大胆さを感じさせる作風は、やはり琳派の影響があるのだという。
「乱暴な作風にも見られるかもしれませんが、表現しているのはやはり、日本美なんです。この大胆な色使いは、元々私の家が九谷焼を祖としていますから、九谷焼の色絵を継承していると言えるとも思います。」
川尻さんの工房がある東山区今熊野日吉町・南日吉町一帯は清水焼の窯元が集まる陶業地で、地元の一角に建てられた「陶器塚」も川尻さんのデザインによるものだ。その陶器塚にも九谷赤や呉須などの絵の具が駆使された、鮮やかな絵付が施されている。
現在は窯元としてではなく、陶芸作家として活躍されている川尻さんだが、窯元として代々受け継がれてきたものが川尻さんの作品には活かされているのである。
川尻さんは作陶活動だけでなく、京都府南丹市園部町にある京都伝統工芸大学校など、大学で伝統工芸論を教えておられる。また、工房を持たない美術系大学出身者などに自らの工房を、製作の場として提供されたりもする、心優しい面も持たれている。
川尻さんは、こんな話もしてくださった。
「将来、陶芸家を目指す若者は現在でも多くいます。むしろ、増えているんです。陶芸が職業として選択されるという面では、今でも人気が高いのです。しかし、陶磁器が購買の対象として選択される割合は時と共に下がっています。お茶を、急須を使って入れて湯呑で飲むのではなく、コンビニでペットボトルのものを買ってきてそのまま飲むスタイルに変わっていることに代表されるように、日本人の生活様式が変化していることや、人々が興味を持つベクトルが陶磁器以外のものに移っている傾向、海外から入ってくる安価な陶器に市場が席巻されていることなどから日本の伝統工芸品である陶磁器が売れなくなってきています。」
京都陶磁器会館で陶磁器を購入される方が、今や外国から来られた方が約半分を占めるそうだ。日本の伝統工芸に興味を持ってくださっている外国の方が増えているのに、日本人の興味が日本の伝統工芸から離れていっているというのは、なんとも皮肉な話である。
「窯元の皆さんは、別にサボっているわけではないと思うのに、日本における陶磁器の市場が、どんどん狭くなっているが故に、伝統的陶磁器が売れなくなっている。特に、京焼・清水焼に関しては、その必要性を大いに感じるのですが、私は日本の伝統的陶磁器を宣伝する専門の大使のような人物、あるいは機関がこれからは必要なのではないかと思っています。ヨーロッパの伝統的陶磁器であるデンマークのロイヤルコペンハーゲンやドイツのマイセンなどは、広報がしっかりしていて、宣伝媒体に対する働きかけが円滑に機能しているので、現在でもよく売れているんだと思います。」
日本だけでなく、海外に向けてもこれからは、より積極的に日本の伝統的陶磁器を発信していくことが必要なのだろう。
陶芸作家としての顔、大学講師としての顔、そして先祖代々受け継がれてきた陶業家としての顔など、色々な面で川尻さんは、とても有意義なお話をしてくださった。陶芸作品のすばらしさだけでなく、川尻さんには人間力の強さも感じるのである。
川尻潤
1964年 | 京都生まれ 清水焼禎山窯 窯元 |
1987年 | 東京芸術大学美術学部 デザイン科卒業 |
1989年 | 同大学 大学院修士課程 修了 デザイン専攻 |
1992年 | 同大学 大学院博士課程 修了 デザイン専攻 |
1992年~1995年 | 同大学デザイン科 助手 |
1998年~2001年 | 同大学デザイン科 非常勤講師 現在 京都東山にて作陶 日展会友 |
1985年 | 京都府画廊選抜展 知事賞受賞 |
1986年 | 京展 美術懇話会賞受賞(以後3回受賞) 日本新工芸展 新工芸賞受賞 |
1997年 | 国債色絵コンペティション ’97入選 |
1998年 | 日展初入選 以後毎年入選 |
2003年 | 日本現代工芸 工芸賞受賞 |
2004年 | 日展 特選受賞 |
2005年 | 日展 無鑑査 |
2011年 | 日本現代工芸展 京都新聞社賞 |
個展 | 京都高島屋 心斎橋大丸 銀座松屋 横浜高島屋 |
著作 | 「歪みを愛でる」 2001年 ポーラ出版 |
日展作家 川尻潤
〒605-0953 京都市東山区今熊野南日吉町146-2
TEL:075-541-0515
FAX:075-541-6688