備前焼の大家で陶芸の修業をされた出口鯉太郎さんが作られる作品は土味を生かした素朴な風合いのものが多い。備前での修業時代は、土作りから教わったそうで、今でも作品はまず、土作りから始めることを大切にされている。山から掘り出された原土を陶芸に使える土にするまで時間を掛けて行われる。
「初心忘れるべからず」の言葉を大切にし、下手に仕事に慣れたプロにはならないことを基本理念とされる。土が持つ自然の風合いを、焼き物に生かすために陶芸家が行わなければならないこと。備前修業時代に教わったことが、そのために活かされる。そして、その土で作ったものを焼き上げる窯焚きも、備前時代に多くを教わったそうだ。窯の中で作品にあたる炎がどのように作用するのか。備前で教わったすべてのことが出口さんの焼き物の基礎になっている。
出口さんが現在、作陶を続けられるのは亀岡市内。工房は市街地の中矢田というところにあるが、宮前町神崎三泥という周囲を山に囲まれた所に穴窯を持っておられて、その窯で作品を焼かれている。松割り木で熾される炎で焼かれる出口さんの作品は、その炎が当たることで作り出される色合いや光沢が自然で素朴な味わいの作品だ。正に炎芸術である。 出口さんに、作品を作る上でのコンセプトは何かと尋ねると「あるがまま」という答えが返ってきた。我が意図するところ以上に炎が作り出す焼き物であり、無意味な奇をてらわないあるがままの作品なのである。
地面に直接煉瓦を積み上げて作られる穴窯は、雨が降れば地中に染み込んだ水分で湿気を持つ。年に数回の窯焚きの間には雨が降る日も当然あるので、窯を焚くためには最初、窯に含まれる湿気を抜くことから始めなければならない。その湿気を抜くための”焙り(あぶり)”は雑木を燃やして行う。
湿気が抜けた後、いよいよ松割り木で炎を熾し、窯の温度を少しずつ上げていく本番の焙りが始まる。焙りによりある程度の温度まで上がれば次に本焼きに入り、小割にされた松のさし木を窯の中へ投げ込む作業へと移っていく。
出口さんによると、本焼きの時の最高温度は1300度近くまで上げるそうだ。しかも、松割り木だけでこの温度まで上げるので、4日もかけて窯焚きをするのだという。さすがに、この全作業を一人で行うのは無理なので、何人もの応援を得て行われるのだそうだ。
出口さんに生い立ちのことを訊いてみた。出口さんの祖母は石黒宗麿に陶芸を教わった女流陶芸家の先駆けであったそうで、出口さんの窯名である東白窯は石黒宗麿が名付け親だそうだ。
母親は出口さんが修業をされた備前焼の大家である金重家から出口家に嫁いでこられた方で、代々、焼き物の一流の家柄である。しかしながら、そんな焼き物の一流の家柄であることは鼻にも掛けない。素朴であるがままの出口さんなのだ。
昔、京都に「あなたが作られている焼き物は、やはり京焼・清水焼ですか?」と尋ねられて「いいえ、私の焼き物は“おのれ焼”です」と答えた陶芸家がいた。出口さんが作られる作品も、出口さんの人柄がそのまま反映された“おのれ焼”だと強く感じる。
出口さんの窯場の敷地内には、「ウリズン」という名称の施設が隣接している。この「ウリズン」とは、あるNPO団体が建てたもので、宿泊や会合に誰でもが利用できる施設になっている。長閑な山中にあるこの施設は周りの森の景色にすんなりとけ込むような木造の建屋で、休暇をこの施設で過ごしたいと思えるようなところ。
自然豊かな環境で作陶し、自然の炎で作品を焼き上げる。実に羨ましいような出口さんの陶芸ライフだ。
出口鯉太郎
1960年 | 京都府亀岡市に生まれる |
1983年 | 金重愫(まこと)氏(備前)のもとで陶芸の道に入る |
1986年 | 京都市工業試験場陶磁器研修専修科終了 |
1995年 | 日本橋三越本店にて初個展 |
1996年 | 広島天満屋にて金重一門展 |
1997年 | 日本橋三越本店にて個展 |
1999年 | 岡山と広島で金重一門展 日本橋三越本店にて個展 |
2001年 | 日本橋三越本店にて個展 |
2002年 | 岡山高島屋にて個展 |
2003年 | 日本橋三越本店にて個展 |
2005年 | 京都高島屋にて個展 |
2006年 | 日本橋三越本店にて個展 岡山高島屋にて個展 |
2007年 | 大阪高島屋にて個展 名古屋松坂屋本店にて個展 |
2008年 | 岡山高島屋にて個展 |
2009年 | 日本橋三越本店にて個展 大阪高島屋にて個展 |
2010年 | 名古屋松坂屋本店にて個展 |
2011年 | 神戸にて二人展 岡山高島屋にて個展 |
2012年 | 日本橋三越本店にて個展 |
東白窯
出口鯉太郎
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