北川宏幸

2012.06.13 更新

京都府綴喜郡井手町で作陶される北川宏幸さんは、とても穏やかなお人柄で、優しさがにじみ出るような方だ。北川さんは、この地で雅号を「陶房 弥三郎」と銘打ち、作陶を続けられている。さて、弥三郎の名前の由来はなにか?ふと、疑問に思ったので北川さんに訊いてみたところ、北川さんの生家は代々この井手町に続く家柄で、その家の屋号なのだそうだ。元々は農家であったが、北川さんのお爺さんは、竹細工の名工でもあったらしい。やはり、その物作りの血を受け継がれたのだろう。北川さんが、陶芸の道を志すことを決められたのは高校生の時。当時、流行であった民芸ブームの中、加藤唐九郎や荒川豊蔵といった花形の陶芸作家の作品を見てあこがれ、心に決められたそうだ。そして、京都造形芸術学院陶芸科に進み、在学中に天目釉の名匠である陶芸作家、木村盛康氏に弟子入りされた。     そんな、北川さんの作品は天目釉と飛び鉋、櫛目を組み合わせた作品で、土が持つ可塑性と釉薬の窯変性を生かしたものになっている。特に釉薬は油滴天目釉の表面に析出する金属の微細な結晶により、微かな金属光沢を放つ。北川さんは、これを耀変鉄釉と呼んでいる。飛び鉋と櫛目で模様付けされる部分は焼〆象嵌と呼び、その二つを対比させることで、金属的でシャープな感覚の作品に仕上げておられるそうだ。この耀変鉄釉と焼〆象嵌を組み合わせた作品は「焼〆鉄黒様」と名付けておられる。 北川さんの作品は、この「焼〆鉄黒様」以外にも素朴な土ものの柔らかさが表現された作品も作られている。取材の折、作業風景を撮らせて欲しいとお願いしたところ、快く黄瀬戸の抹茶碗をろくろ挽きして下さったのだが、この時に驚いた。突然、茶碗を挽く北川さんの手がブルブルと大きく震えだしたのだ。  
「五十歳を過ぎてから手が震えるようになってねぇ・・・、ガハハ」と北川さんは笑っておられたが、いや、そうではない。茶碗の側面に変化を付けて味を出すため、意図的に手を震わせて起伏を付けておられたのだ。筆者もろくろを回して器を作るし、今までに何人もの同業のろくろ師の作業を見てきたが、北川さんのような技は見たことがない。普通なら熟練の職人でも、ろくろで回転する土に対して触れている手を、あのように震わせたら当然の如く、器はグチャグチャになって潰れてしまう。それを、いとも簡単にこなしてしまう北川さんの技は、容易には真似のできない面白い技だ。  
北川さんは個展だけでなく、日本各地で行われている焼き物市にも積極的に出展される。直に、器を買いに来られる人と触れ合って作品を提供することに意気を感じておられるのだ。第一回目として今年から開催される「やきものフェアinみやぎ」にも出展されるそうだ。今まで出展したことがない焼き物市にも、あえて赴かれるのは、東日本大震災の被災地である宮城で初めて開催される焼き物市だからこそ、応援する意味でも参加したいのだとのこと。やはり、ここでも、心優しき陶芸家の北川さんなのである。

北川宏幸

1955年 京都府に生まれる
1977年 京都造形芸術学院陶芸科卒業 在学中に木村盛康氏に弟子入り 以後四年間 京都クラフト展入選 以後三回
1978年 京都府陶工訓練校成形科卒業
1987年 京都府綴喜郡にて弥三郎窯を開窯
1988年 朝日現代クラフト展入選 新匠工芸会展入選
1991年 朝日現代クラフト展入選
1992年 サントリー美術館大賞’92 -挑むかたち- 入選 札幌芸術の森クラフト展入選 朝日陶芸展入選
1994年 京展入選
1995年 新美工芸会展奨励賞
1996年 日清めん鉢大賞展入選
1997年 新美工芸会展シンポ工業賞
2017年 2月 62歳没
その他 東武百貨店池袋店アートサロンにて平成七年より毎年個展を開催 京都・大阪・東京にて個展